2016年2月28日日曜日

レジェンド 狂気の美学 エロティシズム比較③ 近親愛と破滅

前記事2件(これこれ)にてテキトーにThe Smoke とLegendの2映画におけるエロティシズム比較と謳ってしまいましたが、本作Legendがそっちにおいて強調されているかというと意外にもそうではありません。単純にタロン・エジャトンがどちらでも脇役で魅惑的な少年を演じているということ、同性愛傾向ものということ比較しようとしたのですが・・・The Smokeは脇役とはいえ、主役のジェイミー・バンバーファンサイトですら、タロン・エジャトンが好演した少年の物語だったと認めるくらい準主役の重要人物であり、主役も食う勢いでした。ですがレジェンドでは目の保養になるアクセサリーに徹してます。それはそれでよいのです。
やはりフォーカスがかつて人々に怖れられたふたごのギャングの残酷非道な悪行、暴力性なので、そこを強調するためにエログロ採用してみた感は否めません。

であれば、もっとそこを徹底してほしい。この映画に関していえばちと生ぬるい。かつ裏顔的なひそかにゾクゾクするようなエロティックさにやや欠け気味だと思います。監督へルゲランド氏のコメンタリーも聴きましたが、私が受けた印象は監督が狙った部分と大差ないとは思ったので、だったらもっとこうしようよ-と大いに言いたくなりました。

お稚児コンビ
諸説ありすぎるクレイ兄弟の逸話。監督自身も、最後にこれが僕バージョンの『伝説』のレジェンドだから…と言っておりました。2時間程度の映画でしかもふたごの台頭から逮捕されるまで…の数年をまとめるのに、人間の心の機微などにフォーカスするのが無理。これも総時間300分以上のTVシリーズにしていたらもっと面白くなるのではないかとと思います。

レジェンドは可愛いお稚児はお稚児で横に置き、注目すべきはふたごなのです。それはトム・ハーディの一人二役の怪演の評価だけでなく、さほど露骨に出されていないけど端々にあるふたごの関係。ナレーターを務めたフランシスも不要…とまでは言いませんが、もうちょっと横においてアクセサリー化、このふたごの関わりオンリーでとことん突き詰めたほうが良い出来になったのでは思います。その点でちょっと消化不良感。

この同じ顔したふたご同志の愛憎。ふたごの片割れロニーのレジーへの執着(フランシスはライバルの様相) レジーのロニーへの愛情と憎悪、ロニー異常さを共有、内在する自己嫌悪に苦しませ、変態息子(ロニー)を溺愛する母には頭も上がらず、愛したはずの女一人守れない自分への憎悪と八つ当たりで最後にロニーのお気に入りのおもちゃテディを遠慮なく殺させたほうが、トレーラーの印象と同じくらいの、残虐非道とエログロ満載映画になったと思います。申し訳程度に挿入されていたジジイの乱交パーティだってあの程度のチラ見にするなら、別に不要です。

トムハーディが、変態ロニーのほうにより執心したってのはちと残念な気がします。監督はレジー役を打診するつもりでトム・ハーディと会食。監督はレジーの話ばかりし、トムはロニーの話ばかり。トムは『ロニーを僕にくれたら(監督の欲しい)レジーをあげる』と提案。晴れて一人二役に収まったのです。

レジーのほうがより深いキャラになりえたのに
レジーをただただ粋なやくざととらえちゃうのはもったいない。明らかにスキゾ判定出てしまうロニーより、まともそうなのに実はスキゾと全く同じ血が流れてるし、残虐性も内包していて、そのことにも苦しんでると思われる。そこにもっとフォーカスしてくれたらいいのに。
ロニーは動物的だ。イカレてるけどただ動物的本能に基づくシンプルな奴だと思う。ハチャメチャぶりが性格俳優となりつつあるトム・ハーディには面白かったのだろうけど、複雑なのはレジーの方、より細やかにかつ激しく衝動と理性の間で苦悩するのも、ロニーでなくレジーの方。なのでレジーに気合入れてこそ…だと思うのだけど。


変態ロニーが欲するのは実はレジー。テディを筆頭にお稚児はすべて代替品でしかない。フランシスは堂々とレジーに添えるライバルだ。ママと一緒にレジーが可哀そうだなどど、一緒にフランシスをいびる小姑ぶり。(あの図体、あの面構えで小姑なのは気色悪いです)




ふたごが殴り合いの後、ロニーが立ち上がらせようと差し出されたレジーの手を引っ張り自分を抱かせて、「俺はもろいんだよ」とレジーに甘える姿。ロニーが欲しいのは自分と同じ顔したレジーなのだと確信。同じ顔したふたごが血みどろで抱き合う姿はそれだけでエログロ感漂います。

グロテスクな兄弟愛・・・どころかすでに近親愛。ロニーの度を越えた片想いに応えられないレジーの苦悩のほうがずっとドラマティックでエロティック。テディがふたご母もレジーも公認な理由がこれなのだと理解。
 
彼らは動物的なロニーの歪んだ近親愛の的のレジー代替品としてテディをロニーにあてがっているのです。テディを与えることでレジー本人の尊厳を守る。具合の悪いロニーが抱きしめてもらいたい相手はレジーであり、レジーに全部脱がせてもらい、構ってもらいたいのだ。絵的にはかなりグロテスク。あまり想像したくないけどそうとしか思えない。

2002年にBBCの特集でレジーがテディを殺したと服役中に告白されたと言ってる元同房の服役囚が登場していたそうです。テディはフランシスの死後忽然と姿を消し、それまでもレジーが殺して川に捨てた云々は言われていたそうです。(ただ亡命説もあります)
終盤のマクヴィティ殺害現場にお稚児片割れレスリーはいますがテディの姿はありませんでした。

レジーが愛くるしいテディを惨殺(実際は銃殺)なぞしたら別の意味で物議をかもしそうだけど、ここは腹を括って思い切ってやり通してほしかったと思った。

マクヴィティのメッタ突きはただの本人への制裁で十分。ムシの居所も悪かったのでメッタづきにしただけでもいいのではないか。 監督のへルゲランド氏はレジーがマクヴィティ殺した後、ロニーが「なんでやったんだ?」と聞くのに対して、「お前(ロニー)を殺せないからだ」
と怒鳴るセリフがとても気に入っていたらしい。 監督はマクヴィティがなぜ常軌を逸した殺されかたをしたのかをリサーチしたそうです。マクヴィティはヤクの売人もやってたらしいけど、フランシスに薬を売った形跡はなかったので、フランシスの仇にはならないから(∴ロニーの身代わり)とのこと。

監督のお気に入りのこのセリフ、それならテディ殺して言わせた方が効果的。ただへまこいたマクヴィティが愛憎の狭間で殺せない弟の代用ではちょっとしらけます。

ロニーに血縁の弟への愛情までしか持たないレジー。ふたごの絆、血の強さ、何が何でも守りとおすつもりの弟であり、十二分に強い愛ではあるけれど、その弟の望みを叶え切れないジレンマ、自分自身の男としての出世への渇望、自分にも潜んでいるかもしれない弟と同じ狂気、めちゃくちゃな弟の姿は自分自身かもしれない恐怖と嫌悪。 時代を仕切ったやくざ男の裏顔の苦悩としては突き詰めるのには最高。
ジョルジュ・バタイユの眼球譚の神父様なみの悲痛さと抱き合わせ、それを怒りで弾こうとする強さも持ち合わせそうなレジーはとても魅力的になると思う。 
そして、トム・ハーディそれくらいやり遂げそうな役者さんだとも思う。そうすれば、もう怖いものナシだ。
レイヤーケーキのヴォーン監督コメンタリーにあったけど、当時新人だったトム・ハーディはセリフや出番をもっと欲しがっていたらしい。確かにあの映画の中では美貌のお兄ちゃんでしかなかった。年齢的にも今のタロン・エジャトンくらい?。
10年強で驚異的に成長、これでクラブオーナーとして財を成す出世欲と泥臭い近親愛の欲情の狭間で堕ちていく男の自己嫌悪と恐怖の葛藤を演じきったら怖いものなしの熟練俳優。
 
この路線のままでこうして欲しかったところ。

★ レジーがフランシスに暴力を振るった直後、レジーにもっと苦悩させる。レジーにとってフランシスは大事であった。これはクラブオーナーとしてゴージャスな美人妻はmustでもある。(実物フランシスはベベ(BB:ブリジットバルドー)と言われたくらいの美女であった。
★ やはりレジーのテディ殺害説は活かしてほしい。短いシーンでいいのだ。ふたご母がテディをロニーと一緒に泊まらせたせた翌日、テディにロニーのシャツズボンの処理をぬかりなくやったか確認してロニーの具合を確認。もう、この時点でフランシスにも死なれたレジーはかなり参っているはず。
第一希望: 報告したテディが調子の悪そうなレジーを気遣い、レジーにふれて微笑みかけた。一応ストレートのつもりでいるレジーはロニー同様に色目使うテディに頭に来るのとともに、このお稚児を人身御供としてロニーに与えている自身への嫌悪感にもやり切れなくなり、衝動的にテディ暴行の末に殺害。
第二希望: 報告したテディが調子の悪そうなレジーを気遣い、ちょっとふれただけでカンに触って衝動的に銃をむけて殺害。

マクヴィティはロニー同様、衝動行動に抑えが聞かなくなってきたレジーの八つ当たり程度でいいのだ。死体を車に放置したところからして、判断力などなくなっている。
第一希望路線で行くなら、ヘルゲランド監督でなく、ジョン・ヒルコート監督あたりなら、それまでもふたごのグロテスクな近親愛と葛藤を残虐に理解不能な熱気とともに描いてくれそうだ。テディの愛くるしさをコントラストとして活かし、情け容赦なく無残に殺してしまいそう。

第二希望路線ならへルゲランド監督でもいけたんじゃない?ここはひとつ気合入れ切ってほしかったと切におもう。

と言っても何もタロン君殺される姿をあえて見たいわけではない。けど、この映画のあの最初トレーラー並みの高揚感も含めた感覚を維持するのであれば、そのくらいやり切らないと生ぬるさを感じてしまう。

そしてロニーがゲイであることよりもロニーのレジーへの近親愛に重点を置くべきだった。

私がこの映画に執着するきっかけのタロン君/テディにも言及しておきます。

従順なお稚児
実物マッドテディがここまでお稚児だったとは思わない。テディ自身、才能も有り、単独でも十分にサイコ入った悪党だったと思われる。ただし、この映画ではまるっきりお稚児さん。
タロン君がいつまでも少年感残し幼いからかもしれないが、このお稚児テディの愛くるしさ、ふたごには従順そうな仕込まれ済み感は効果的だけど、幼く見えるだけにちょっとひいてしまう。そこに萌える人もいるかもしれないけど『闇の子供たち』なみに、調教された少年感があるのはペドフィ(幼児性愛)嫌いには見るのがキツイ。イメージが湧いてしまうテディの過去はあまり考えたくないものだ。調教したのがふたごなのか、別なのかはともかく。

昔、風と木の詩という竹宮恵子氏の漫画は愛読したが、長じてブックオフで懐かしさに立ち読みしたところ、大人買いに走るどころか、気分が悪くなってしまった。今、こんな漫画が世に出たら、私はPTA立場で出版社訴えると思う。主人公たちが幼すぎる。当時竹宮恵子氏は男女の絡みだと検閲入ってボツにされるから少年愛の話にしたと書いてあった遠い記憶がある。
だけど今見ると、こんな年齢一ケタの子供が体までほてらしてどうするっ。美学どころか、幼児性虐待を正当化し、幼児ポルノを増長させるのに加担してるだけとしか思えず、吐き気がした。最初にオーギュに動物のように扱われるジルベールは記憶では確か4歳だ。(←違っていたとしても余裕でひとケタなのは確か) 後年、氏の漫画にはあまり興味が持てなくなっていたのにもなんとなく納得した。

つまり、いかにも従順そうな愛くるしいテディをみると、ペドフィとセットの…嫌悪感が来てしまう。 ただし、テディ調教済感はこの映画の残虐性レベルを上げるのにも、ふたごの悪党感アップにも大いに貢献している。シャツひとつ脱ぎもしないのに、これだけ煽れるタロン君はやはりすごいとは思う。

脇役少年がここまで引き上げてるんだから、やはり本筋主役の残虐性もエログロもずばずば描き切るべきだったと思った。本筋の方でもっと吐き気を伴うような、グロテスクな熱さを感じさせてほしいと余計に思った。




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2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    トムハ好きで最近LEGENDを観まして辿り着いたものです。
    なんだか、トムハの双子の演じ分けすごいわー久しぶりにイケメンっぷり炸裂してるわーぐらいに止まってるのが勿体無いなあと思ってました。
    実際の双子について調べるとなおさら…
    単純にあれじゃあフランシス可哀想すぎるし…
    おれんかさんの仰るバージョンで観てみたくなりました>_<
    タロン君も好きなのでまた来ますね!

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    1. こんばんは!リリーさんはじめまして! お立ち寄りありがとうございます。
      レジェンド、もうひと声!って感じですよね、決して悪くはないんですが。
      トムハはもっといける!!って感じで。
      私、レヴェナントを遅れて入って最初の数分逃したのですが、最後のクレジットでレオ様の次に出てくる名前がトムハ。あ、そうだ!出てたんだった!で、どこに?と思ったらなんと、お話の肝の悪人がそうだった!!! 全然気づかなかったのであまりの化けっぷりに心底驚きました。
      昔はちょっときれいな顔のおにいさん…みたいな感じだったのにスゴイですよね。
      またぜひぜひお立ち寄りください。

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