2015年2月27日金曜日

20,000 Days On Earth  教祖ニック・ケイヴの御成り。

もう一回見にいこうと思ったらもう終わっていた!ショック‼️
都内で一ヶ所だけの単館上映、しかも夜9時からの一回だけ。









そんなにニック・ケイヴって集客効果なし? 80年代パンク少女の私には教祖様なのに。

確かに来てる人は大体私くらいか、年上っぽく、40歳以下などいなさそう。日本語はこっち。




『20世紀の終わり、私は人間であることをやめた』とのキャッチに、え、どーなったってこと?!と身を乗り出してしまいましたが、いや、なんの、とても人間として、素敵に落ち着かれていました。昔よりも成熟感もあり、別の意味でステキになっています。
そもそも、もともとがひとっぽくなかったじゃん!とツッコミたくなりました。恐らく大半の人がそう思うのではないかと…。
彼にとって人間の定義って何なのでしょうね?

それにしても!
ニック・ケイヴってなんと素晴らしい詩人なのでしょう。

彼は既に脚本家としての実績もあります。ミュージシャンじゃなくても、物書き、詩人として名を上げたことでしょう。

映画の構成、ビジュアル、音楽共に素晴らしいです。

ただ、背景を知らない人が見ると、妄想なんだか幻想なんだか、彼の運転する車の中に登場する、カイリー・ミノーグや、ブリクサのありがたみは全くないのかもしれない。(ブリクサ、なんか顔色良くないとおもったけど大丈夫かなぁ)
Warren Ellis とのやり取りもただのおっさんの日常のようで(確かにそうなのだけど)面白くないのだろうなぁ。

心療内科医っぽい人とニック・ケイヴの会話。昔の持ち物の中から出てくる手紙や古い写真と共にケイヴの想いで話。 親家族とのことから、バンドのこと。
ファンなら、おおーって思う写真だってもちろん出てくれば、あれはこうこうだったから…との話にへぇーと密かにうなづいてたり。

彼がエロスを感じるもの…として挙げているものの中にバタイユのミルク皿…というのがあり、へ~そういうの読んでたんだーと共通点発見してうれしくなりました。私も一時バタイユはせっせと読んでましたが、マークアーモンドは、バリバリにバタイユ感あったけど、ニック・ケイヴは私にとってはベツモノ的でした。私は闘牛士の目に一番萌えました。

おまけに、彼は確かに暗黒大魔王と呼ばれていた記憶が・・・その期待に応えるべく(?っつーかやらざるを得ず?)ステージでさらに暴れ、観客をビビらせていたのだと本人の弁。

ええ、私もよーく覚えています。あれは確か94年。ロンドンでShepherd's Bushの場末間漂うライヴハウスのコンサート行きました。
小柄な私は、見えないのよー感をアピールして、最前列ステージ前を陣取ってました。歌っている途中、真ん前に来られたのです。私の方に向かってくるかのように・・・。

フツーだったら、キャーって思うでしょ?思わず手ぐらい差し出しちゃいません? でもむっちゃこわくて(オーラが違ってるのです、彼)どーしよう?!とフリーズしてしまいました。くすん。
バッドシーズのコンサート、数回行ってますが、美形のブリクサの記憶があまり残っていません。
ニック・ケイヴの存在感でほかの人に目をやる余裕なんてなくなってしまうのです。
ああ、懐かしい。でも、もう来日しない(できない)だろうなぁ。

ラッキーなことに、劇場はうちから20分の立地だったのです。 夜そそくさと出かけて観て帰ってきても、育児放棄を問われるほどの時間は要りません。
こういう写真も飾ってあったし、もう一回来たかったのにぃー。

ブリクサ・バーゲルド
撮影時のショット?映画の車の中より血色がよく見えます。単に光のせいかしら?

もう一回来るつもりだったからこのくらいしか撮らなかった(泣)
でも、ファンなら言うまでもなく必見です。当たり前すぎますが・・・・。
音と映像だけでぐわんぐわんやられる感じでしょうか。

2月末までやっているかのようなスケジュールの書き方に騙されました。
もう一回観れなかったのは本当にくやしいわ(涙)
DVDはまだ出てないようです。

最後は私の大好きなThe Carnyで。 (ライヴ版があったので変えました↓。とっても素敵です。ベルリン・天使の詩でマリオンがトレーラーで聴いていた曲です)







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